人気ブログランキング |

生きているだけで丸儲け


by zxt7867
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

日本の職場(日本职场)

日本では女性の就職は男性社員と違いがあります、私は会社の面接で、自分が独身であることを言いました、もし会社側が既に結婚していることを存じたら、男性社員と同じように扱ってくれることが難しいだろう、いつか子供が生まれることを前提に考えなければならないからでしょう。私は就職時自分が結婚していることを言えずに、このまま一生子供も欲しくないときっぱり宣言した。うちの社長は非常に紳士的な方でした、普通は女性社員が会社で一人前になりたいなら、仕事以外のこともやらなければならないです、例えば男性社員にお茶を酌むことは別として、時々触られたりすることもよくある。特にひどいセクハラではなく、ただ単に技術をやる女性がまだまだそう多くない、毎日朝から晩まで一緒にお仕事、家族といる時間よりも断然に長いからです、男性社員はほとんどストレスが多いです。日本人が恥ずかしがり屋でめったに人を褒めないというのが違うではないかと思います、若いからみんなからは可愛い可愛いとちやほやされて、自分も本当に自分が可愛いかなと思うように勘違いました。女性社員?忙しい職場の癒しの調味料に過ぎない、大半の女性社員は会社で就職していい人を見つけて結婚する、「職場結婚」と言います。結婚して退職するというのが「寿退社」とも言います。会社ですか?それは大家族と言っても過言ではないでしょう。

在日本妇女就职还是和男士不同,我当时公司面试,就说自己是独身,如果公司知道你已结婚很难把你和男职员一样看待,要考虑到你可能哪一天生孩子。我当时不敢说自己已结婚,并坚决地说一生不要孩子。我们的boss是个非常绅士的人,很多女职员在公司里要想出人头地,都要付出额外的代价,给男职员倒茶什么的就不说了,至少被摸摸啊什么的是常事。倒也不是什么很厉害的性骚扰,而是干技术的女职员还比较少,天天在一起工作,比和家族在一起的时间要长多了,男职员都很有压力。谁说日本人不善于恭维人,因为年纪还小大家都会当面夸你可爱可爱,自己也就真的以为自己很可爱了。女职员吗?只是紧张的工作气氛中的一款调味,所以好多女职员在公司就是为了找个人结婚而已,被称为「職場結婚」。結了婚要辞职就叫「寿退社」。公司吗?就是一个名付其实的大家族。

うちの社長は女性社員に仕事しか要求しませんでした,ですから会社は小さくても美人の女性が比較的にいました。私はこの会社で一番長く働たらいていた、妊娠が分かる前に、会社から何週間もOracle Developerの研修を受けました,会社は私を仕事で使うのだけではなく,育ててくれていたことが事実でした,それが当時の私にとって会社を騙した罪恶感すらを覚えた,どうしようもなく,退職願いを出したとき、社長に目線を合せることができなかった。

这位老板从来不碰任何女职员一下,所以我们公司虽小却有好几个漂亮的女职员。我在这个公司干得时间最长,在知道怀孕之前公司还让我去学了几个星期的Oracle Developer,老板并不是光用用我而已,还是在培养我的,这让我更加觉得有一种欺骗了他的罪恶感,没有办法,把辞职书交上去的时候我不敢正视他。

私は日本で十年間もお仕事しました、はじめは日本人どうして残業しなければならないだろうと思いました、自分が定時に退社できることは、自分が能力あるからです、早く仕事を片付けたからです。退社の時はいつも全フロアが聞こえるぐらい大きい声で「お先に失礼いたします!」,まるで「自分がもう仕事を終わったよ、帰宅しても当たり前だよ」と宣言していたように一叫びしてから堂々と帰ろうとしました、そして会社のみんなが自分に「お疲れ様でした」を言わせました、社長も自ら社長室を出て私に「お疲れ様でした」を言わせましたね。その後、挨拶は声が大きくなくても、必ず全員にしなくてもいいんだよとだんだん分かってきたが、だからみんながこっそり私を笑っていた原因もようやく分かってきた、自分が本当に鈍くさいことに気付きました。さらに後から分かったが、自分に配られたお仕事は、早く片付ければいいってことでもないです、皆が上司からスケジュール表を貰っていて、一人だけ早めに終わっても意味がありません、次のお仕事の設計書がまだできてないからです、早く終わっても、次の仕事を待つばっかりです。ですから、みんなはスケジュールを守って自分の仕事を進めることが肝心です、決まった時間で一斉に仕上げるのも、お互いに協力し合ってグループ仕事のためでもあります。例え早く終わっても、皆がまだ残ってお仕事しているから、一人で先に帰るのも失礼なことだとやっと分かった。

在日本一工作就是十年,刚开始觉得日本人为什么没事也要加班,自己能做到定时下班,说明自己有能力,干得快。下班时总是用全办公室都能听到的嘹亮声音大吼一声"失礼了我先走了",好像是在宣布自己已经干完了,可以名正言顺的回家了似的,弄得全办公室的人都和我说"你辛苦了",连老板也亲自出来和我说"你辛苦了"。后来发现,大家都是用轻轻的声音,并不是和所有人都打招呼的,才恍然大悟,怪不得大家都在那里窃窃私笑我的原因,才明白自己有多冒失。后来发现,分配给你的活,并不是越快干好越好,大家都有上司给安排的工作日程表,你一个人超前没有用,下面的设计式样书还没有好,只好干等。所以大家都是严格按照工作日程表的进程来干,到规定的时间一起交货,才有利于团体协力工作,就是快快完成,大家没走,你一个人也不好意思先走了。

30才が過ぎてからは明らかに体力が落ちってきた、妊娠が分かる前は、年間600万円ぐらいの年収のお仕事を辞める理由もなく、主任の名刺を捨てる理由もなかった、私はまるで赤い靴を履いたダンサーのように踊り続けて止まれなくなっていた。実際はとっても疲れていて、残業は略毎日のこと、休日出勤もしばしば、男性社員と一緒に徹夜でサーバを見守ることも時時ありました。

年过30以后明显体力不如从前,在怀孕之前我没有任何理由辞掉年薪600万的工作,没有理由抛弃主任的名片,我没有理由停下来就像穿上了红舞鞋,其实我干得很累,加班是天天的事,休日出勤也是常事,甚至还要时不时地和男职员一样值夜班熬通宵守着主机。

2000年前は、日本のコンピューター業界は一つの仕事で大忙しいです、それは有名な2000年問題でした。以前の開発は汎用機がメインでした、開発システムはACOS(Advanced Comprehensive Operating System の略)。昔のシステムエンジニアは開発用の区間をなるべく節約するため、すべてのファイルの年の項目を2桁に設定しており、年月日項目はYYMMDD6桁でした。これは2000年前なら、85は1985年であり、90は1990年であり、前は19という二桁の暗黙の了解が存在していたからです。2000年ですか?まだまだ先のことでしょう、その時にまた改善策を考えればいいです。

2000年前,日本电脑界在为一件事忙得焦头烂额,那就是2000年对应。以前的开发以汎用机为主,开发系统大多是ACOS(Advanced Comprehensive Operating System の略)。老的系统设计师为了节省空间,把所有文件里有关年的项目都定成2位数,年月日就是YYMMDD6位。2000年以前,大家都能明白85就是1985年,90就是1990年,前面有19这个默契的两位数在。至于2000年吗?还早呢,到时再说。

ところが、2000年はこんなにも早くやってきた、すでに目の前です、年この項目は00になっちゃいます、一体1900年なの?2000年なの?銀行システムのATMなどこれで完全にダウンすることが間違いがありません、4桁に変更しなければならない、すべてのファイル、プログラムが修正しなければならない、すべてのデータを移行しなければならない、すべて修正したプログラムと画面は単体テスト->結合テスト->本番のルートでもう一回やり直しなければならない。これは難しくない作業だけど、重複で退屈でかつ膨大なお仕事でもありました、殆どのシステムは夜中か休日に、お客さんがお休みの時間帯にテストを行うしかありませんでした。

没想到2000年这么快就来了,已迫在眉睫,年这个项目只有00两位,到底是1900年还是2000年?特别是银行系统ATM会因此而瘫痪,不扩成4位是不行了,火烧到眉毛,所有的文件,程序都要改,所有的数据都要移行,所有的修改后的程序,画面测试都要经过单体-结合-正式运行等各个环节重新再走一边。这是一项简单但重复枯燥而且庞大的工作,很多系统只能在深夜或星期天和祝日里客户都休息的时候运行测试。

私はとってもラッキーでした、この2000年対応の救急グループには参加しなかった、幸運にも当時まだ始まったばっかりのオーブン系の開発グループに入られた、これは大型コンピュータ上で稼働する古いシステムの一部分をパソコンにお引越しして開発する、ダウンサイジング( Downsizing )と言います。幸いなことに当時まだまだ高価なPCと毎日面と面を向かって仕事することができた。しかし、新しいシステムのため、開発メンバも何十人のグループから少人数へと変化して、参照できるサンプルもなかったが、いつも親切に教えてくれる先輩もいなかった、プログラムは1行ずつ一人でゼーロから書き出した、その時はまだまだ若かったため、マニュアルを見ながらやるしかなかった、今はもしもう一回やってと言われても、きっと不可能だろう。

我很幸运,没被加入这救火敢死队里,而是被派去干刚刚开始的open系的开发,是把大型机上的旧系统搬到PC上开发,称为ダウンサイジング( Downsizing ),有幸接触到当时还很昂贵的PC。但是因为是新系统,开发的环境也由以前的以几十人的团体为主转向以几个人为主,所以没有样板可以参照修改,没有先辈可以讨教,程序都是一行一行自己从零写出来的,可能是仗着年轻好学,抱一本书就边学边干了,现在再要叫我重写一个,再也不可能了。

汎用機開発から本格的にパソコンでの開発に変貌するのがまだまだごく最近10数年のことでしょう、画面の設計もデータベースの管理も汎用機時代よりはずっと楽で面白くなった。

汎用机开发开始大规模地转向个人机开发也就是近十来年的事,画面设计和数据管理都比汎用机时代的开发灵活有趣得多了。

最後の2年は東南アジアの開発システムの設計を担当しましたが、毎日が途切れなく会議の連続でした、冗談で「人生の半分も会議で過ごしたね」と言ったら、同僚が「いえ、人生の3分の2が会議で過ごしたかも」と。私はこの仕事で肩こりが酷く、首も痛めました、毎朝が寝返りもできないぐらい、肩と背中が痛くてベットから落ちたこともありました。一緒に仕事する女性たちがずっと座っていたせいでほとんどが冷え症や便秘になっていました、若くても痔が持病の子もいました。

最后两年干东南亚开发系统的设计,大会小会不断,当时我开玩笑说人生的一半都在开会了,一起干活的同事说不对是人生的三分之二都在开会。我得了干这一行的职业病,肩周炎颈椎炎,每天早上肩膀疼得哭笑不得翻不了身,有一次还从床上摔了下来。和我一起的女职员大多有便秘,因为一直坐着的缘故,大多年纪轻轻的就有痔疮。

突然世界が変わった、私は妊娠した、迷うことが何一つありませんでした、私は肩に重い荷物が下したように軽くなった、私はこれからママになります。

突然世界变了,我怀孕了,我还有什么后顾之忧呢,一下子我肩膀上的担子没了,我就要当妈妈了!

2001年2月28日、私のお仕事の最後の日でした、同僚たちが食器洗い機をプレセントしてくれました、会社の送別会で、社長が溜息の末「あっけないな」の一言で、私は泣き出した。会社勤めの10年間は、私の青春そのものです、一緒に仕事をする皆に感謝して、お陰さまで日本語を一言もしゃべれなかった10年前の私から、今の私がいました。33才の年でした。

さようなら、私の大家族!

2001年2月28日,我工作的最后一天,同事们凑钱给我买了一台洗碗机,在公司的送别会上,老板叹息了一声说「あっけないな」,把我说哭了。在这十年里我渡过了我一生最美好的青春,我感谢所有一起共事的同事,从一句日语也不会说的到现在的我,托了大家的福才有了今天的我。我已经33岁了。

再见了,我的大家族!




日本では女性の就職は男性社員と違いがあります。私は会社の面接で、自分が独身であることを言いました。もし会社側が既に結婚していることを存じたら、男性社員と同じように扱ってくれることが難しいだろう。いつか子供が生まれることを前提に考えなければならないからでしょう。私は就職時、自分が結婚していることを言えずに、このまま一生子供も欲しくないときっぱり宣言した。うちの社長は非常に紳士的な方でした。普通は女性社員が会社で一人前になりたいなら、仕事以外のこともやらなければならないのです。例えば男性社員にお茶を酌むことは別として、時々触られたりすることもよくある。特にひどいセクハラではなく、ただ単に技術をやる女性がまだまだそう多くないからです。毎日朝から晩まで一緒にお仕事、家族といる時間よりも断然に長いからです。ほとんどの男性社員はストレスが多いです。日本人は恥ずかしがり屋でめったに人を褒めない、というのは違うのではないかと思います。若いからみんなに可愛い可愛いとちやほやされて、自分も本当に自分が可愛いのかなと思うように勘違いしてしまいました。女性社員?忙しい職場の癒しの調味料に過ぎない。大半の女性社員は会社で就職していい人を見つけて結婚する。そのことを「職場結婚」と言います。結婚して退職するというのが「寿退社」とも言います。会社ですか?それは大家族と言っても過言ではないでしょう。

うちの社長は女性社員に仕事しか要求しませんでした。ですから会社は小さくても美人の女性が比較的多くいました。私はこの会社で一番長く働いていた。妊娠が分かる前に、会社から何週間もOracle Developerの研修を受けました。会社は私を仕事で使うのだけではなく、育ててくれていたことが事実でした。それが当時の私にとって会社を騙したという罪恶感すら覚えさせた。どうしようもなく,退職願いを出したとき、社長に目線を合せることができなかった。

私は日本で十年間も仕事をしました。はじめは日本人がどうして残業しなければならないのだろうと思いました。自分が定時に退社できることは、自分が能力あるからです。早く仕事を片付けたからです。退社の時はいつも全フロアに聞こえるぐらい大きい声で「お先に失礼いたします!」、まるで「自分がもう仕事を終わったよ、帰宅しても当たり前だよ」と宣言していたように一叫びしてから堂々と帰ろうとしました。そこで会社のみんなが自分に「お疲れ様でした」といい、社長も自ら社長室を出て私に「お疲れ様でした」ということになりました。その後、挨拶は声が大きくなくても、必ず全員にしなくてもいいということがだんだん分かってきた。だからみんながこっそり私を笑っていた原因もようやく分かってきた。自分が本当に鈍くさいことに気付きました。さらに後から分かったが、自分に配られた仕事は、早く片付ければいいってことでもないのです。皆が上司からスケジュール表を貰っていて、一人だけ早めに終わっても意味がありません。次の仕事の設計書がまだできてないからです。早く終わっても、次の仕事を待つばかりです。ですから、みんなはスケジュールを守って自分の仕事を進めることが肝心です。決まった時間で一斉に仕上げるのも、お互いに協力し合って仕上げるのもグループ仕事のためでもあります。例え早く終わっても、皆がまだ残って仕事しているから、一人で先に帰るのも失礼なことだとやっと分かった。

30才を過ぎてからは明らかに体力が落ちてきた。妊娠が分かる前は、年間600万円ぐらいの年収の仕事を辞める理由もなく、主任の名刺を捨てる理由もなかった。私はまるで赤い靴を履いたダンサーのように踊り続けて止まれなくなっていた。実際はとっても疲れていて、残業は殆んど毎日のこと、休日出勤もしばしば、男性社員と一緒に徹夜でサーバーを見守ることも時々ありました。

2000年は、日本のコンピュータ業界は一つの仕事で大変忙しい時でした。それは有名な2000年問題でした。以前の開発は汎用機がメインでした。開発システムはACOS(Advanced Comprehensive Operating System の略)。昔のシステムエンジニアは開発用の区間をなるべく節約するため、すべてのファイルの年の項目を2桁に設定しており、年月日項目はYYMMDD6桁でした。これは2000年以前なら、85は1985年であり、90は1990年であり、前は19という二桁の暗黙の了解が存在していたからです。2000年ですか?まだまだ先のことでしょう。その時にまた改善策を考えればいいです。

ところが、2000年はこんなにも早くやってきた。すでに目の前です。年この項目は00になっちゃいます。一体1900年なの?2000年なの?銀行システムのATMなどこれで完全にダウンすることが間違いありません。4桁に変更しなければならない。すべてのファイル、プログラムを修正しなければならない。すべてのデータを移行しなければならない。すべて修正したプログラムと画面は単体テスト->結合テスト->本番のルートでもう一回やり直ししなければならない。これは難しくない作業だけど、重複で退屈なかつ膨大な仕事でもありました。殆どのシステムは夜中か休日に、お客さんがお休みの時間帯にテストを行うしかありませんでした。

私はとってもラッキーでした。この2000年対応の救急グループには参加しなかった。幸運にも当時まだ始まったばっかりのオーブン系の開発グループに入れられた。これは大型コンピュータ上で稼働する古いシステムの一部分をパソコンに引越しして開発する事、ダウンサイジング( Downsizing )と言います。幸いなことに当時まだまだ高価なPCと毎日画面に面と向かって仕事することができた。しかし、新しいシステムのため、開発メンバーも数十人のグループから少人数へと変化して、参照できるサンプルもなかった。さらにいつも親切に教えてくれる先輩もいなかった。プログラムは1行ずつ一人でゼロから書き出した。その時はまだまだ若かったため、マニュアルを見ながらやるしかなかった。今はもしもう一回やってと言われても、きっと不可能だろう。

汎用機開発から本格的にパソコンでの開発に変貌するのはまだまだごく最近10数年のことでしょう。画面の設計もデータベースの管理も汎用機時代よりはずっと楽で面白くなったと思います。

最後の2年間は東南アジアの開発システムの設計を担当しましたが、毎日が途切れなく会議の連続でした。冗談で「人生の半分も会議で過ごしたね」と言ったら、同僚が「いえ、人生の3分の2が会議で過ごしたかも」と。私はこの仕事で肩こりが酷く、首も痛めました。毎朝が寝返りもできないぐらい、肩と背中が痛くてベッドから落ちたこともありました。一緒に仕事する女性たちがずっと座りっぱなしのせいでほとんどが冷え症や便秘になっていました。若くして痔が持病の子もいました。

突然世界が変わった。私は妊娠した。迷うことが何一つありませんでした。私は肩から重い荷物を下したように軽くなった。私はこれからママになります。

2001年2月28日、私の仕事の最後の日でした。同僚たちが食器洗い機をプレゼントしてくれました。会社の送別会で、社長が溜息の末「あっけないな」の一言で、私は泣き出した。会社勤めの10年間は、私の青春そのものでした。一緒に仕事をした皆さまのお陰で日本語を一言もしゃべれなかった10年前の私から、今の私がおります。皆さまには本当に感謝しています。33才の年でした。

さようなら、私の大家族!

by zxt7867 | 2008-03-07 02:16 | 思い出